平和文集2012

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はじめに

3月11日。未曾有の大地震が発生し、それに伴い大きな津波が東北地方を襲いました。また、地震と津波の被害を受けた福島第一原子力発電所が大量の放射能を漏洩するという大事故も発生し、たくさんの人々が被害を受け故郷をおわれました。政府のこの事故への対応は大勢の国民の疑問と不信を抱かせたのではないでしょうか。その後新たな内閣になりましたが、あの悲惨な事故があったいまでも政府は原発からの撤退を考えていません。福井にもとても古い原発があります。危険と隣り合わせの暮らしでは安心で平和な生活とは言えません。多くの方が今回の事故により放射能への関心が強くなったことと思われます。核と人類は共存できません。私たちは、一刻も早い原発からの撤退、自然エネルギーへの転換を求め、今後もうったえつづけていきたいと思います。

日本国憲法第9条

  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本国憲法第25条

  1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
  2. 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び   増進に努めなければならない。
原水禁世界平和大会報告  星空映画祭

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平和行進の参加して
   歯科医師 森 洋介 

2011年6月25日に初めて平和行進に参加してきました。まだ6月中にもかかわらず強い陽射しが降り注ぎ、みんなタオルなどで流れる汗をぬぐいながらの行進でした。
 平和行進が始まって今年で54年目になるそうです。平和行進とは「歩く」という誰にでもできる行動で、核戦争阻止、核兵器緊急廃絶、被爆者援護・連帯の要求をあらわし、市民に賛同をよびかけ、その原水爆禁止の要求を結集していく行動です。横断幕を掲げ、沿道にいる方々と挨拶を交わしながら丸岡から坂井まであるきました。
3月11日の東日本大震災に伴う放射能漏れ事故が起こったこともあり、今年は原子力について改めて考え直す行進となりました。福井には原子力発電所が多く、福島の事故も他人事では済まされません。チェルノブイリでは今なお立入禁止区域があり、そこにしか帰るところのない人たちが柵をくぐって生活していると聞きます。生活の基盤となる土地が汚染されてしまった福島の苦しみがこれから何年続くのかと考えると胸が痛みました。そして戦争で被爆された方々の長い苦悩の歳月を思いながら、平和を願いつつ行進しました。


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星空映画祭
星空映画祭とは「21世紀を核兵器・戦争のない平和な世界に」をスローガンに、平和をテーマにした親子で観賞できるアニメ映画の上映をおこなうお祭りで、沢山の方が「平和」への想い・関心・意識を高める機会として毎年続けているものです。映画を通して「地域の方々に広く平和を訴える」場として、また次の時代を担う子ども達の健康や取り巻く環境について考える機会として位置づけています。
                 
今回の映画は

 「はだしのゲン2」 でした。
この映画は今から66年前、第2次世界大戦の時、広島に原子爆弾が落とされました。1945年8月6日、この映画の原作を書いた中沢啓治さんが小学校1年生だったときのことです。中沢さんは原爆を受けた子どものころの体験をもとにして、劇画「はだしのゲン」を書き、世界中の人々に大きな感動をあたえました。

今回は7月29日で開催されました。本来はクリニック前の北江公園で屋外スクリーンを設営し観賞するのですが、当日は残念ながら天候が悪く、社会福祉センターの体育館をかりての開催となりました。しかし、当院も含む多くの院所からの出店や、光陽中学校吹奏楽部による演奏もあり、大変賑やかなお祭りとなしました。毎年恒例の抽選会も大盛り上がりで、出店の商品も完売になる店が続出するほどの大盛況でした。

毎年、7月20日前後に開催していますので、お近くの方は是非お立ち寄りください。
また、上映券や模擬店での売り上げは、原水爆禁止世界大会への参加費用にもあてられています。

 

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原水禁世界大会報告
   事務 渡辺 啓行

 2011年8月7日〜9日の3日間、長崎で開催された原水爆禁止世界大会に出席してきました。今年は福島原発の事故もあり、原爆だけではなく原発に対する訴えが多くありました。初日の開会式では各国の代表の方が発言し、たくさんの原爆・原発に対する想いが語られました。自然エネルギーへの転換がすでに始まっている国もあり、日本でもすばやい転換が必要だと感じました。また原爆被害者の方の体験談もお聞きし、新た待て原爆の恐ろしさ悲惨さを感じ、核兵器廃絶は急務だと感じました。しかし、世界中にはまだ何万発もの原爆が存在し、未だに実験も繰り返されているというのが現状です。日本は唯一の原爆被害国ということで、もっともっと広く世界に呼びかけていく使命があるのだと感じました。

この3日間はとても充実していて、あっという間に終わってしまいましたが、今後の平和活動の励みになりました。
各院所にて、署名等の活動を行っていますので、ご協力お願い致します。


開会式の様子。大きな体育館が2階までいっぱいになり、熱気はムンムン。
壁には全国から寄せられた千羽鶴が一面に飾ってありました。
長崎市長のスピーチ
「我々は微力だが無力ではない」
核兵器の署名はその小さな力の集まりで54万筆を超える成果となりました。1つの署名でもそれが
大きな力になっていくのだと感じました。
被爆したときの体験談を聞かせていただきました。会場は静まりかえり、皆真剣に聞いていました。
福井のみんなで平和公園に千羽鶴をもって行きました。
とてもきれいに仕上がっていました。ご協力頂いた皆さん
ありがとうございました。
平和公園のなかにあった石碑です。

福井民医連からの参加者です。
星空映画祭でメッセージを書いて頂いたTシャツで
虹色を表現しています。
閉会式の途中で、原爆が落とされた11時2分となり
全員で黙祷を行いました。
歌手のクミコさんが、2010年紅白歌合戦でも歌われた
「INORI〜祈り〜」を歌いました。原爆被害にあった子のことを歌ったもので、少女の祈りが歌われています。
閉会式の様子です。全国の民医連の参加者が壇上にあがり核兵器反対・平和への訴えと今後の平和活動の宣言をしました。

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全国平和大会in沖縄      
   光陽生協歯科 技工士 豊田貴也


 沖縄には、修学旅行で普天間基地等を見学しましたが、その頃は興味も知識もなく自分に関係ないし、どうでもいいと思っていました。
 しかし、この平和大会に参加して今までの自分の考えが間違っていることに気が付きました。基地ができてから今までに起こしてきた「米軍の事件」、日本が払っている多額の「思いやり予算」など、これらの問題がなかったら沖縄県はもちろんのこと、日本の経済面など、もっと大きく変わるだろうなと思いました。
実際に、基地だった場所が公園に変わった場所を見ましたが、とても綺麗でやはり基地さえ撤退してくれればと強く感じました。
 基地から多くの米兵が車ででてきたり、タクシーに乗って辺りを見渡しても外国人ばかりで沖縄に来ているとは思えませんでした。
 僕が一番印象に残っている話は、飲酒運転をしていた米兵が車線をはみ出してきて、成人式のために地元に帰ってきていた友人を死なせたというものです。僕も同じ年齢ということもあり、非常に悲しく許せない話でした。他にも、16年前に妻が殴り殺されたという話など、米兵によって起こされた事件が多々あります。しかし、日本では裁けず、そのまま未解決事件になっているものも多くあります。これらのことを、裁けないからという理由で見てみぬふりはできないと強く感じました。
 僕はこの3日間の平和大会に参加して、多くのことを感じ、今までに行ってきた活動の意味や自分たちが何をしなくてはいけないかがよくわかりました。
自分が思ったことや感じたことを糧に、これからの諸活動を全力で取り組み、少しずつでも世界が平和になっていくことを願いたいです。
今回の世界大会はとても貴重な体験で、自分が思っていたこととは全く違っていました。今の悲惨な現状を知らなければと思うほど衝撃の事件で、世間は事実を知らないから軽く受け止めていると思います。原発にしても、普天間基地にしてもやはり多くの人に伝えて、現実を知ってもらうべきだと思いました。
これからも積極的に活動に取り組んでいき、日本が一番平和な国になるように願いたいと思います。

この広大な敷地はすべて米具基地です。倉庫の中にたくさんの戦闘機や戦車が収納されてます。

開会式の様子です。沖縄県民だけでなく、全国からの基地撤退の訴えがありました。

閉会式とその後のデモ行進では、約1000人の方が集まり、普天間基地の撤退を訴えました。




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福井空襲の記憶(実際に戦争を体験された方の体験記)
       加藤 たかこさん(81才)  

昭和20年7月ごろのことです。毎日、警戒警報が鳴り夜は電気にふろしきをかけて暮らしていました。その日もまた夜9時ごろに警戒警報が鳴りました。
 私は、宿舎の布団の中に入っていました。10時ごろになったら空襲になり、東の方でドンと言う音がしました。照明弾により外が真昼のように明るくなり、福井市内がいっぺんに見えました。その時、B−29が屋根すれすれに飛びながら今の福井市の外側から丸くさらに十文字に焼夷弾と爆弾を投下しました。
 ドーンジャラジャラと焼夷弾の音がし、星のように光りその後すぐに火の海に変わりました。焼夷弾の光はとてもきれいでした。爆弾の音は1時間ほどで無くなりました。一夜明けて家に帰りました。そこには30人あまりの避難民がいました。驚きました。食料の米は摘発され1年食べるのに足らなくて、父親は固めの南瓜のお粥を八升鍋でつくりみんなに与えていました。南瓜は多く出来たので1日に四回もたきました。避難者は毎日焼けた自分の家を片付けに行き、昼過ぎに帰ってきました。
 家の者が田畑から帰るとまたお粥をたかなければなりません、そのような日が10日ほど続きました。男の人は焼けた明くる日に市内の後始末に1週間ほど行っていました。県庁のお堀の中に入った30人ほどの人々は皆、燃えて死にました。その人達は、水を吸ってポンポンに膨れていましたので、鳶口を使って引き上げました。足羽川の水も燃えていたので川にいた人々も死んだそうです。
 堤防の桜の木は今ほどの大きさがありましたが空襲により燃えて根っこだけが残っていました。
 今の桜の木はそのあとに植えたものです。足羽山には小守部隊がいたので、爆弾が投下されたので足羽山の桜の木は燃えました。今の桜の木は後から植えたものです。もう戦争は嫌です。平和を祈ります。

 空襲の歌

 空襲なんぞ恐るべき つけよ持ち場にその部所に
 我に輝く歴史あり 爆撃猛火来るうとも
 戦い勝たんこの試練



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終わりに

 最後までお読みいただきありがとうございました。また、貴重な戦争体験を書いていただいた皆さんに感謝し、お礼申し上げます。
 福井民医連である光陽生協歯科では9条の会の活動を行うなど、強く平和を訴えてします。これを読んでいただいた皆様に、少しでも関心をもっていただければと思います。
歯科職員が
この1年間さまざまな平和活動に取り組み、平和を願ってきました。一人ひとりの平和を願う思いがこの文集となり、それがまた他の人たちに少しでも伝わることが出来れば幸いです。


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